SHOULDER(ショルダー)

【聖句】

"わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。"
イザヤ書 22章22節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

   

【定義】

腕が調休に接続する部分。頭を支えるところ。権威の重要な部分。休むところ。世任を引き受ける、受け入れる、重荷を負うこと。


【拍子】4/4

【説明】

ダビデの家の鍵とは、賛美と礼拝のことでしょう。ダビデは神が与えた自由の中でいかにして神を礼拝するかを知っている王であり、レビ人でした。この聖句(イザヤ22:22)は、この「鍵」を支配の「鍵」と関連づけています。それは、神の任命された指導者だけが、“扉の鍵を開ける“権威を与えられているからです。その人は主から約束された『ビジョンと祝福”という扉を開く鍵を持っているのです。 権利がないのに、偽りの鍵を使って押し入ろうとする者は、強盗か盗人で、その目的は「盗んだり、殺したり、破壊したり」することです(ヨハネ10:10)。神に選ばれた指導者は、神に承認された主のしもべです。彼は賛美と礼拝の中でどのようにして主に仕えるかを知っています。そして実際的な聖霊に導かれた奉仕の中で、どのように神の子供たちや同労者たちに仕えればよいのか知っているのです。しかし、残念なことに、鍵を所有する可能性のある人々のほとんどが、遠慮して、創造性のない単なる傍観者にとどまっています。しかし、開かれる扉を通って入る召しを与えられているなら、永久にそこから締め出される前に、唯一の鍵を取って扉を開けることを選ばなくてはなりません。(ルカ13:24~25)

「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)

かしらなるキリストは愛の御腕を差し伸べたいと願っています。私たちは、喜んでこれを受けるでしょうか?


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